母の期待に応えられないことが悲しくて
自己嫌悪の日々でした。
計算をしているときは嫌過ぎて泣いて喚いたり暴れたりしていましたが、できない自分のことが大嫌いでした。
自分は勉強が苦手で頭が悪いんだと
思い知るのが辛くて算数がどんどん嫌いになりました。
算数以外の教科や実技系は得意だったことが救いになり
いつしか、算数は苦手だからやらないように生きていきたいなと思うようになりました。
成果がなく、面倒になった母は急に計算をさせてこなくなりました。
突然のことでした。
「あんたにやっても無駄」
という突き放した理由だったため、とてもショックでしたが、解放されることへの嬉しさが勝りました。
夜中、父と母が私の話をしていることはよくありました。
大抵バカにしたような内容で、私はそれを鵜呑みにして自分がいかに足りない人間であるかを思い知らされていました。
この時は挫折した10桁10行計算の話をしていて、
私がいかに算数にむいておらず、無能であったかということを笑われていました。
「もううにのことは諦める」と言う言葉は
見限られたようでとても傷付いたことを覚えています。
今は私の価値観は自分ならではの価値観になり、
天才であることも素晴らしいけど努力できることも素晴らしいと思っています。
勉強ができることは素晴らしいけど、好きなことに熱心になれるならそれが勉強じゃなくても良いと思っています。
なにより、どんな子に育つか決めるのは
親ではなく子供自身で、私たちにサポートできることは限られていると思っています。
まだまだ育児は模索中ですが、子供に安心して帰って来れる場所を提供することや、毎日ごはんを作ってあげたいとか、子供が好きなことを応援したいとか、そういう慎ましいことを頑張っていきたいなと思っています。
母からされて嫌だったことを振り返ることができたおかげで、育児の不正解を知ることができました。
それが今、娘や息子と向き合うときにすごく役に立っています。
感謝、、とまでは言うと大袈裟かもしれませんが
嫌思い出で終わらず、良い経験になったのかなと思えています。
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