10桁10行計算①

毒親

私の母は教育熱心でした。
私は物心ついた頃には学習塾へ通っていました。

もちろん、そのこと自体は悪いことではなく、為になる経験を与えてもらえたと思っています。

しかし、母が私に抱いていた目標は
私のためのものではなく、母のためのものでした。

自分のために自慢の娘を作り上げたい。
そういう思いが今も強いです。

母は極端な思想の育児本に頼りがちでした。
その中に保育園に入れたほうが教育に良いというものがあり、母は専業主婦だったにも関わらず自営業だった父の会社で仕事をして、無理矢理保育園へ入園させたそうです。

父から聞いた話だと、父と一緒に事務所へ行き、母は一人で映画を見にいったり友達とお茶したり、たまには事務所の掃除をしたり、そんなゆるやかな日々を楽しんでいたそうです。

今ほど、入園に際し厳しいルールはなかったそうですが、私は保育園の頃、母がずっと働いていると思っていたので事実を知った時は少しショックでした。

幼いながらに、母から価値観を刷り込まれ
女の子は可愛くないといけない。
努力して勉強できても意味がない。
天才じゃないと価値がない。

そう思い込んでいました。

その価値観は早い段階で私に挫折を感じさせました。

私は要領の良いタイプだったので、初めてやることの飲み込みは早い方だったと思います。

けど、それだけでずっと1番になれるわけもなく、ひたむきに努力している人たちにどんどん抜かされていきました。

私が人より劣ることに
誰よりも耐えられなかったのは
母でした。

特に苦手だったのは数学でした。
母は数学を私の得てにするための裏技的な本を読みまくり、私に押し付けてきました。

私は別に成績が悪かったわけではありません。
当たり前に授業を受けて、宿題をやって、成績も普通でした。

しかし、母の求める娘は
周りから一目置かれる天才でなくてはならず。
ポテンシャルを上げるために、影で努力するしかないと思ったみたいです。

やりたくない努力というものは辛いもので、私は毎日の勉強の時間が苦痛で苦痛でたまりませんでした。

加えて、できないと母が怒鳴りちらして殴りかかってくるので、怖くて萎縮してしまい、余計に時間がかかっていました。

毎日怒鳴られ殴られて、失敗するイメージしか持てなくなってしまいました。

そして、どんどん計算ミスが増えてしまい
どんどん母の理想とかけ離れた娘になっていったのでした。

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